時間変化曲線解析プログラム「名称: KINE」の開発
崎山 博史
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1 序論
化学反応の速度論的研究は,酵素反応や触媒反応の反応機構を推察する上で重要な情報を与えてくれる。実測データの速度論的解析には,反応開始時の初速度のみで議論する場合と,反応成分の濃度の経時変化である時間変化曲線(タイムコース)を解釈する場合がある。初速度だけで議論するよりも,時間変化曲線を解釈した方が得られる情報は多くなるが,一般に時間変化曲線の解析は以下に示す二つの理由のために困難な事が多く,初速度だけで議論されることが多い。理由一:反応開始時においては,反応に関与する各成分の濃度を知ることが容易であるが,各成分濃度の経時変化を解釈するためには実際に起こっている主な副反応についてもすべて明らかにしなければならない。理由二:初速度は反応開始時における時間変化曲線の接線の傾きから簡単に求められ,理論解析に用いる演算も四則演算と対数計算くらいで容易であるが,各成分濃度の経時変化は速度式の積分形で表されるため,速度式が容易に積分できる典型的な場合以外は,濃度を時間の関数として表すことが困難である。
そこで今回,Macintoshを用いて簡単に速度論解析ができることを念頭に,時間変化曲線解析プログラム「KINE」の開発を行なった。副反応がある場合にも解析を可能にするため,並発反応や連続継起反応などを含む25種類の反応パターンを用意した(Table 1)。複雑な反応パターンにも対応するため,速度式の積分を行なわずに時間変化曲線を描画するアルゴリズムを開発した。また誤差の評価を行ない,精度を保ちながら演算の高速化を図った。開発にあたり,時間変化曲線解析を容易にするため次の三つの機能を目指した。1)種々の反応パターンで,初濃度と速度定数を入力すると各成分濃度の時間変化曲線を描画する機能。2)データの入出力を容易にするため,ファイル入出力の他にMacintosh OSの「クリップボード」経由でのデータの入出力を行なう機能。3)実測値に対して自動フィッティングするよう,速度定数,平衡定数,濃度係数を最適化する機能。
Table 1 Reaction patterns for KINE ver 1.0.1, 1999
No | Reaction
|
---|
0 | A B + C
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1 | A B + C, B D + E
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2 | A B + C, B + D E
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3 | A B + C, A + B D
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5 | A + A B + C
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6 | A + A B + C, B D + E
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7 | A + A B + C, B + D E
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8 | A + A B + C, A + B D
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10 | A + B C + D
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11 | A + B C + D, C E
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12 | A + B C, C + D E
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13 | A + B C, B + C D
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20 | A + A + A B + C + D
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30 | A B + C, A + B D
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31 | A + B C + D, B + C E
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50 | A B, B C
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51 | A B, B C, C D
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52 | A B, B + C D
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53 | A B, A + B C
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60 | A + B C, C D
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61 | A + B C, C D, D E
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62 | A + B C, C + D E
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63 | A + B C, B + C D
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70 | A B, A C
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72 | A B, A + C D + E
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2 方法
2. 1 開発・動作環境
開発にはPower Macintosh 7300/180(Inertia, OS: J1-7.5.5)を用い,プログラミングにはRealbasic[1]を用いた。ソフトウェアはMacintosh(68KおよびPPC,OS: System 7以降)で作動する。
2. 2 時間変化曲線の計算方法
本プログラムKINEでは,有限個の分子が微小単位時間に何個反応するかを連続して求めることによって時間変化曲線を得る。このとき,分子の個数を実際の分子数に近付け,単位時間を無限に小さくすると,速度式の積分形と同じ結果を与えることができる。この方法は微分方程式の差分解法に属し,積分式を必要としないため,複雑な反応パターンにも対応することができる。差分解法における差分(微小単位時間あたりの変化量)の求め方には様々な方法があるが,オイラー法[2]など単純な方法は演算が簡単であるが近似精度が良くなく,近似精度の高いルンゲ-クッタ法[2]などは,演算量が多く演算時間が増大する。KINEでは,差分を求めるために半減期法[3]を導入したところに特徴があり,半減期法とオイラー法の組み合わせにより,簡単な演算で十分な精度を実現した。一般に差分解法では,経過時間が大きくなるにつれて誤差が増大したり,単位時間内の変化量が大きい場合には正しく演算できない欠点を持つ。KINEでは誤差の見積りを行ない,十分な精度が得られるよう分子数と単位時間を設定することで,実用に耐え得るものとした。初期値では分子数を1×107個とし,変化時間の1/250を単位時間とした。実測値へのフィッティングは,最適化関数を実測値と計算値の差の二乗の和とし,最大8個のパラメーターを同時に最適化できるようにした。
2. 3 KINEの主な機能
- 時間変化曲線描画機能
-
反応パターンを25種類の中から選び,初濃度と速度定数(または平衡定数)を入力すると各成分濃度の時間変化曲線を描画する。
- データ入出力機能
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Macintosh OSの「クリップボード」経由で,表計算ソフトやグラフソフトからデータを入力し,KINE上にプロットする。同様にKINEの計算結果をコピーし,他の表計算ソフトやグラフソフトに出力する。また反応パターン,各種パラメーター,実測値をファイルに保存する。
- フィッティング機能
-
実測値に対して各種パラメーターを最適化し,自動フィッティングする。完全自動フィッティング機能はk1,k2,Kに対して,部分自動フィッティング機能では最大8個のパラメーターを同時に最適化する。
- 係数機能
-
時間変化曲線にかかる係数を入力することもでき,ここにモル吸光係数を入力すると吸収スペクトルの時間変化曲線解析にも利用できる。
- 総和機能
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複数の時間変化曲線を任意に選び,時間変化曲線の総和を計算,表示する。
- R値表示機能
-
実測値が入力されている場合には,実測値と計算値のフィッティングの度合いをR値で表し,表示する。R値は次式で定義され,よくフィットするほど小さな値となり,完全に一致するとR = 0となる。R = S(dataobs - datacalc)2/S(dataobs)2
3 結果と考察
3. 1 誤差の見積りと評価
化合物Aが濃度[A]に対して一次反応で減少する場合(rate = -k1[A])について,積分形の理論式[eqn. (1)]から時間変化曲線を求め(Figure 1a),KINEによって得られる時間変化曲線と比較した。誤差は0.01%未満であり(Figure 1b),単純な一次反応では実用に十分な精度であることがわかった。
次に,化合物Aが二次反応で減少する場合(rate = -k2[A]2)について,積分形の理論式[eqn. (2)]から得られる時間変化曲線(Figure 2a)とKINEによって得られる時間変化曲線の比較を行なった。
誤差は1%未満であり(Figure 2b),単純な二次反応でも十分な精度が得られた。
Figure 1. (a) Time course of [A]t obtained by eqn. 1. with [A]0=1 mmol and k1=0.01 s-1.(b) Time course of the deviation.
Figure 2. (a) Time course of [A]t obtained by eqn. 2. with [A]0=1 mmol and k2=20 mol-1 dm3 s-1.(b) Time course of the deviation.
3. 2 自動フィッティングの精度の評価
前述の一次反応の場合,理論式[eqn. (1)]に基づく250点についてソフトウェア標準装備の全自動フィッティングを行なった。実際の速度定数k1の値0.01に対して0.0099997の値が得られたことから,99.9%以上の精度でk1が求められたことになる。この演算に要した時間はPower Macintosh 7300/180で約2秒であった。前述の二次反応の場合にも同様の全自動フィッティングを行なったところ,実際のk2の値20に対して19.7723144の値が得られ,98.9%の精度であった。演算時間は約1秒であった。
3. 3 演算の精度が悪い場合の取り扱い
本プログラムの計算方法では,単位時間あたりの変化量が大きいときに精度が落ちてしまう。一例をFigure 3aに示した。横軸を五倍程度に拡大すれば問題は解決するが,このままのスケールで解析するときには,精度が低下しないよう単位時間を設定し直さなければならない。単位時間としてこのスケールでの初期値1秒を用いると,単位時間あたりの変化量が大きい反応初期に誤差が4%程度まで増えてしまった。単位時間を1/10の0.1秒にすると,誤差は0.4%未満となり,実用に十分な精度となった。しかし,単位時間を更に1/10の0.01秒にすると,時間経過に伴って誤差は1%程度となり,かえって悪い結果となった。これは時間経過とともに誤差が累積したためである。速度定数の全自動フィッティングで精度を評価すると,単位時間1秒で95%,0.1秒および0.01秒で99%となった。このことから各反応に対して適切な単位時間を初期設定することで,実用に耐え得る精度が得られることがわかった。
Figure 3. (a) Time course of [A]t obtained by eqn. 2. with [A]0=1 mmol and k2=100 mol-1 dm3 s-1.(b) Time course of the deviation.
3. 4 アミノペプチダーゼ反応の時間変化曲線解析
KINEを用いて,アミノペプチダーゼ反応の速度論的解釈を行なった。アミノペプチダーゼはタンパク質のN末端を加水分解する酵素である。今回は人工的に合成した酵素モデル化合物[Zn2(bomp)(MeCO2)2]BPh4(B)(Hbomp = 2,6-ビス[ビス(2-メトキシエチル)アミノメチル]-4-メチルフェノール,Figure 4)によるL-ロイシン-p-ニトロアニリド(C)の加水分解反応(Figure 5)に伴うp-ニトロアニリン(D)の生成を取り扱った[4]。
Figure 4. Chemical structure of the synthetic aminopeptidase mimic
Figure 5. Hydrolysis of L-leucine-p-nitroanilide
まず初速度法による解析を行ない,反応が二次反応速度式 rateD = k3[B][C] で表されることが導かれた。二次反応速度定数はk3 = 2.3(1) × 10-3 dm3 mol-1 s-1と求められた。次にKINEを用いて時間変化曲線解析を行なったが,この二次反応速度式(KINE No. 10)だけでは時間変化曲線を解釈することができなかった。そこで,人工酵素Bの自己分解反応 rateB = -k4[B] が並発している(KINE No. 72)と仮定すると,時間変化曲線をよく再現できた(Figure 6)。条件の異なるいくつかの時間変化曲線を解析し,速度定数 k3 = 2.5(4) × 10-3 dm3 mol-1 s-1 および k4 = 3.3(8) × 10-4 s-1 を得た。k3 は初速度法で求めた値に矛盾しない結果であった。
人工酵素Bの自己反応分解は,反応溶液中での亜鉛イオンの解離であると考えられ,核磁気共鳴(NMR)でも確かめられている。人工酵素Bについてはもっと自己分解しにくいものを開発する必要があるようだ。
Figure 6. Time course of the formation of D in the hydrolysis of C by catalyst B
今回KINEを用いることで簡単に時間変化曲線の解析ができ,初速度法では見いだせなかった人工酵素の反応分解についても速度定数を評価できた。
4 結論
化学反応の速度論的解釈を目的として,時間変化曲線解析プログラム「KINE」を開発した。演算精度の評価の結果,実用に耐え得ることがわかった。
本プログラムの開発にあたり,山形大学理学部物質生命化学科の鵜浦啓助教授にご助言を頂いた。ここに感謝の意を表したい。
参考文献
[ 1] A. Barry, REAL Software, Inc., 1997 (http://www.realsoftware.com/)
[ 2] いずれもよく用いられる微分方程式の差分解法の一つ。
[ 3] 反応速度論解析法の一つ。
[ 4] H. Sakiyama, R. Mochizuki, A. Sugawara, M. Sakamoto, Y. Nishida and M. Yamasaki, J. Chem. Soc. Dalton Trans., 1999, 997-1000.
- プログラムの入手方法
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崎山研究室のホームページ(http://133.24.24.17/~saki/)からダウンロードできる。
- 配布方法
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本プログラムはフリーソフトとし,非営利にかぎりこれを自由に複製,配布できるものとする。ただし,単位時間などの固定パラメーターも変更できる高機能バージョンはシェアウェアとする。このプログラムおよび付属のドキュメントの著作権は,作者にあるものとし,著作権者の許可なく改変することを禁止する。
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