シクロデキストリンによる分子包接の熱力学関数値と1価アルコールの分子表面積との相関

藤澤 雅夫, 木村 隆良


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1 はじめに

水溶液中において、ある分子が特定の相手分子の大きさや形状を識別することにより重要な機能を示す例として、酵素―基質反応、抗原抗体反応、嗅覚や味覚のメカニズムの一部などが考えられる.このような場合には、それぞれの分子の特定分子表面間に選択的な相互作用が働き、ゆるやかな分子会合を生じているものと考えられる.例えば酵素―基質反応においてはホストである酵素がこれに適合した基質を識別し、ゲストとして取り込むこみ、この現象はホスト・ゲスト現象とも呼ばれている.我々は分子分散状態で溶存し、一定の大きさと固有の親油性空洞を持つシクロデストリン(CD)をゲスト分子として選んだ.また非電解質で疎水基と親水基からなるアルコール分子をゲスト分子として選び、微少熱測定を用いて、水中でCDがアルコール分子を包接する際のエンタルピー変化量やエントロピー変化量を決定して分子識別に関する定量的研究を行ってきた.今回はvan der Waals 表面積(SA)、疎水性部分のvan der Waals表面積{SA(hpho)}と溶媒(水)接触可能表面積{ASA(Solvent(water)-Accessible Surface Area)}等、アルコール分子の様々な分子表面積を評価し、包接に伴う分子間相互作用と分子識別の相関について検討した.

2 アルコール分子の表面積

構造最適化の計算には非経験的分子軌道法プログラム(Gaussian 98W[2])を用いた. 真空中で基底関数6-31 G[2]を用いて構造最適化を行った.その出力座標をTomasiのPCMモデル[3]で構造最適化を行い、表面積を計算するアルコールの構造とした.計算したアルコールはメタノールからヘキサノールまでの直鎖一価アルコール、2-プロパノール、シクロヘキサノールである.各々のアルコールについてSA (Surface Area)、SA(hpho)(Hydrophobic Surface Area)、ASA (Solvent(water)-Accessible Surface Area)を計算した.SA、ASAの計算にはchem plus 1.6[4] を用い、ASA計算に使用する溶媒半径として0.14 nmを選択した.SA(hpho)の計算はMolecular modeling Pro 3.33[5]を用い、親水性面積(SA(hphi))パーセントを算出し、式(1)を用い100から差し引くことにより疎水性面積(SA(hpho))パーセントとし、SAと疎水性面積パーセントからSA(hpho)を求めた.下にメタノールの計算例を示した.以上のように決定した一価アルコールの表面積をTable 1 に示した.
 
SA(hpho) = SA[100-(sa(hphi)%)] / 100                         (1)
        = SA[sa(hpho)%]] / 100
 
Methanol[SA(hpho)] = 0.5682 (100-61.84) / 100 = 0.2168
 

Table 1. Molecular surface areas of monohydric alcohols
AlcoholSA,nm2SA(hpho),nm2ASA, nm2
Methanol0.56820.21681.465
Ethanol0.76610.46861.921
1-Propanol0.96750.67162.229
1-Butanol1.1680.87312.505
1-Pentanol1.3761.0812.826
1-Hexanol1.5611.2703.107
2-Propanol0.97790.75762.190
Cyclohexanol1.3541.1352.726

3 CD空洞内壁とアルコール分子との相互作用

水中でCDがアルコール分子を包接する際のエンタルピー変化量DincHm[1]にはアルコールの脱水和過程でのエンタルピー変化量が含まれている.そこでアルコールの脱水和過程でのエンタルピー変化量を除外して、気相中より水溶液中のCD空洞へアルコール分子を包接させた際のエンタルピー変化を求めた. 1atm、298.15 K の理想気体状態にあるアルコール分子が同温同圧下のCD希薄水溶液中のCD空洞内に包接された際の包接化エンタルピー DincHmgFigure 1のエンタルピー準位図に示した通りで与えられる.
 
DincHmg = -DvapHm +DsolnHm +DincHm= DsolvHm +DincHm    (2)
 


Figure 1. Enthalpy diagram of alcohol(ROH) showing that the enthalpy change on molecular inclusion of ROH into the cyclodextrin(CD) cavities in aqueous solution from an ideal gas phase DincHmg are obtained as the difference of the molar enthalpy of inclusion DincHm and molar enthalpy of solvation DsolvHm = -DvapHm +DsolnHm, where ∞ means infinite dilution.

ここでDvapHm は1atm、298.15 Kの純粋アルコールのモル蒸発エンタルピー、DsolnHm はアルコールの無限希釈溶解エンタルピー、DsolvHm はアルコールの溶媒和エンタルピーである.同様に包接化自由エネルギーDincGmg も式(2)で表される.
 
DincGmg = DsolvGm +DincGm                              (3)
 
DsolnHmDsolnGmはBen-Naim[6] の値を用いて求めた.DincHmDincGmは微少熱測定による既報[1]の値を用いた.以上のように決定した熱力学変化量をTable 2 示した.

4 結果および考察

Table 2に示した気相中より水溶液中のCD空洞へアルコール分子を包接させた際のエンタルピー変化量DincHmg をTable 1 に示したアルコール分子の表面積SA、SA(hpho)、ASAに対してそれぞれFigure 2Figure 3Figure 4にプロットした.Figure 2からわかるように、一価アルコールのエンタルピー的安定化は、アルコール分子の表面積が大きくなるにつれて増加することが明らかになった.このことは表面積の増加につれてアルコールとCD空洞内壁とのvan del Walls 相互作用が大きくなることを示している. 2-プロパノールは1-プロパノールと同等な表面積を有し、a-CD b-CD両者に対しても1-プロパノール+b-CDとほぼ同等なエンタルピー的安定化を示したが、1-プロパノール+a-CD系はさらに約10 kJ・mol-1程度大きいエンタルピー的安定化を示した.嵩高いシクロへキサノールは1-ペンタノールよりも小さい表面積を有し、2-プロパノールと同様にa-CD、b- CD両者に対してもほぼ同等なエンタルピー的安定化を示した.またFigure 3 からわかるようにa-CD空洞に包接される際の一価アルコールのエンタルピー的安定化を表すものとして、アルコールの疎水部分の表面積1nm2当たり45.3 kJ・mol-1ずつ増加した.一方b-CD系ではアルコールの疎水部分の表面積1nm2当たり25.9 kJ・mol-1ずつ増加した.一価アルコールの疎水部とCD空洞内壁とのvan der Walls力による安定化を得るには、b-CDよりもa-CDの方が空間的な適合性が優れているために、疎水性であるアルキル基の表面積の差が著しく現れたものであると考えられる. 2-プロパノールは1-プロパノールと同等な表面積を有するが、疎水部の面積は1-プロパノールよりも大きい.シクロへキサノールは1-ペンタノールよりも小さな表面積を有するが、疎水部の面積は1-ペンタノールよりも大きい.以上のように分子の構造が直線状の方が疎水性が小さいことがわかる。一方Figure 4より、a-CDによる2-プロパノールの包接現象は、b-CDによる直鎖一価アルコールで得られた近似直線上に近く位置することがわかった.

Table 2. Thermodynamic functions of inclusion of alcohols into a- and b-CD cavities in dilute aqueous solutions from ideal gas phase at 298.15 K
AlcoholDincHmDsolvHmDincHmgDincGmDsolvGmDincGmg
kJ.mol-1kJ.mol-1kJ.mol-1kJ.mol-1kJ.mol-1kJ.mol-1
a-cyclodextrin
Methanol0-37.23-37.23---
Ethanol-0.9-40.78-41.68-22.0-21.25-43.25
1-Propanol-6.6-46.66-53.26-17.8-23.26-41.06
1-Butanol-7.9-54.06-61.96-22.6-25.77-48.37
1-Pentanol-13.9-58.17-72.07-24.4-27.76-52.16
1-Hexanol-29.1-59.23-88.33-22.2-30.01-52.21
2-Propanol-0.4-43.28-43.68-19.2-21.28-40.48
Cyclohexanol-7.9-60.01-67.91-23.8-31.42-55.22
b-cyclodextrin
Methanol0-37.23-37.23---
Ethanol0.4-40.78-40.38-24.2-21.25-45.45
1-Propanol1.9-46.66-44.76-17.5-23.26-40.76
1-Butanol3.0-54.06-51.06-18.0-25.77-43.77
1-Pentanol2.2-58.17-55.97-22.6-27.76-50.36
1-Hexanol0.6-59.23-58.63-21.5-30.01-51.51
2-Propanol1.2-43.28-42.08-19.7-21.28-40.98
Cyclohexanol-7.0-60.01-67.01-24.9-31.42-56.32


Figure 2. Molar enthalpies of inclusion of alcohols into a-and b-CD cavities from an ideal gas state at 298.15 K: ,a-CD+n-alkane-1-ol; ,b-CD+n-alkane-1-ol; 1,a-CD+2-propanol; 1,b-CD+2-propanol; 2, a-CD+cyclohexanol; 2,b-CD+cyclohexanol.


Figure 3. Molar enthalpies of inclusion of alcohols into a-and b-CD cavities from an ideal gas state at 298.15 K: ,a-CD+n-alkane-1-ol; ,b-CD+n-alkane-1-ol; 1,a-CD+2-propanol; 1,b-CD+2-propanol; 2, a-CD+cyclohexanol; 2,b-CD+cyclohexanol.

同様にシクロへキサノールの両者への包接現象は、a-CDによる直鎖一価アルコールの包接現象で得られた近似直線上に近く位置することがわかった.シクロへキサノールの包接挙動は溶媒接触を考慮したASAの議論からa-CDによる直鎖一価アルコールの包接と同じメカニズムである可能性がある.


Figure 4. Molar enthalpies of inclusion of alcohols into a-and b-CD cavities from an ideal gas state at 298.15 K: ,a-CD+n-alkane-1-ol; ,b-CD+n-alkane-1-ol; 1,a-CD+2-propanol; 1,b-CD+2-propanol; 2, a-CD+cyclohexanol; 2,b-CD+cyclohexanol.

各々のアルコールがb-CDとa-CDの空洞をどの程度認識しているかを知るために、疎水部の表面積(x軸)に対して気相中より水溶液中のCD空洞へアルコール分子を包接させた際のGibbsエネルギー変化量DincGmg のb-CD系とa-CD系との差をy軸にプロットし、Figure 5に示した 2-プロパノールとシクロへキサノールは、Gibbsエネルギー変化量においてb-CD系とa-CD系でその差が非常に小さく、Gibbsエネルギー的にもエンタルピー的にもb-CDとa-CDの空洞を認識するのが容易でないことが示された.2-プロパノールはCD空洞内にその疎水部がOH基と共に包接されるため、b-CDとa-CDの疎水的な空洞表面の大きさの違いを認識しにくいと考えられる.シクロへキサノールはb-CD空洞内に完全に入り込むことができ、分子表面と空洞内壁との接触が密になった.a-CDはシクロへキサノールを完全に包接できるほどの大きさの空洞を有しないため、シクロヘキサノールとa-CD空洞内壁との接触が不完全におこなわれた.したがってシクロヘキサノールは両CDが直鎖一価アルコールの様にその疎水部のみを完全に包接できる場合と異なり、b-CDとa-CDの疎水的な空洞表面を認識しにくいと考えられる.


Figure 5. Difference of the Gibbs energies of inclusion between b-CD and a-CD cavities from an ideal gas state at 298.15 K: ,n-alkane-1-ol; 1,2-propanol; 2,cyclohexanol.

5 結論

1) CDによる一価アルコールの包接ではアルコールの表面積に比例してエンタルピー的安定化が増加することがわかった.以上の様にCDの空洞内壁はゲスト分子である一価アルコールの表面積の大きさを明確に認識していると考えられる.
2) アルコールの疎水部分の表面積を変数として、包接に際するエンタルピー的安定化の変化を見ると、a-CDの方がb-CDよりも増加の割合が大きい.直鎖一価アルコールの疎水部とCD空洞内壁とのvan der Walls力による安定化を得るには、b-CDよりもa-CDの方が空間的な適合性が優れているために、疎水性であるアルキル基の表面積の差が著しく現れたものであると考えられる.

参考文献

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