コンピュータ顕微鏡でみる化学反応
-水と二酸化炭素の反応-
生尾 光, 市川 朋美, 寺谷 敞介
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1 はじめに
化学の教育・研究において、量子化学が重要であることは早期から認識されてきた。Schrodingerの波動方程式の解の数式から原子軌道の三次元的な形を連想することは難しく、量子化学を身近でない物にしている。時田らは水素原子の一連の軌道関数をコンピュータグラフィクス(CG)により可視化した[1]。従来、化学反応は化学式等による抽象的なイメージで表現され理解されてきたが、構造式から分子の立体構造を理解する事は容易ではない。獅々堀らは、基本的な有機分子の構造を分子力学法計算により作成し、CGによる電子図鑑[2]や学習ソフト[3]の開発を行なった。
化学反応のダイナミズムを理解するためには、分子間の相互作用や反応の過程を量子化学的根拠に基づき動的に表示する事が望まれる。分子軌道法の計算を行えば、反応径路や遷移状態の構造が求められ、それをCGにすれば反応の過程を可視化した事になる。量子化学計算に基づくCGは、原子や分子の相互作用を可視化する「コンピュータ顕微鏡」と言う事ができる。化学反応の動画化は、化学反応のダイナミズムを容易に理解する為の道具として発展が期待される。
水や二酸化炭素は、身近にある物質であり、地球環境を理解する立場からも興味深い。水と二酸化炭素が反応して炭酸を生成する反応において、一分子の水(1)より、二量体の水(2)のほうが、二酸化炭素と反応しやすい[4]ことを山辺は紹介[5]している。
H2O + CO2 → H2CO3 | (1)
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2H2O + CO2 → H2O + H2CO3 | (2)
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今回は、この化学反応について、半経験的分子軌道法により量子化学計算を行い、それに基づくCGを作成し、動画にした。
2 機器構成
コンピューターは、Power Macintosh 8100/80AV(RAM:80MB(bytes); HD:500MB+1GB;システムソフトJ1-7.5.5)を使用した。計算には、CAChe Work System for Power Macintosh Release 3.8[6]中のEditor、Visualizer+、MOPAC[7]を用い、動画作成には、Director Version 4.0J for Macintosh[8]を用いた。
3 計算手順
全ての量子化学計算及びCGの作成はPower Macintosh上のCAChe Work Systemで行った。その手順をFigure 1に示す。
Figure 1. Flowchart of molecular orbital calculations
3. 1 分子の作成
反応物の初期配置をFigures 2, 3に、生成物の初期配置をFigure 4に示す。
Figure 2. Initial geometry of H2O and CO2
Figure 3. Initial geometry of H2O dimer and CO2
Figure 4. Initial geometry of H2CO3
3. 2 構造の最適化
Mopac-Optimize geometryにより、反応物、生成物それぞれの構造を最適化した。Geometry search optionsで、use XYZ,Optimize geometry by;BFGSを指定した。
3. 3 遷移状態の探索
反応物、生成物の2つの最適構造を用いて、Mopac-Find transition stateにより、遷移状態の探索を行った。Geometry search optionsで、use XYZ,Optimizegeometry by;BFGSを指定し、GeometryでCartesianを指定した。分子の初期配置によっては、正しい遷移状態の構造が得られない場合もあるので、計算終了後、分子構造をEditorで確認し、その構造が化学的に合理性を欠く場合には、分子の初期配置を変更して計算し直した。
3. 4 遷移状態の構造最適化
Mopac-Minimize gradientにより、遷移状態の構造を最適化した(Figures 5, 6)。Geometry search optionsで、use XYZ, Minimize gradient by; NLLSQを指定した。
Figure 5. Transition state of H2O + CO2 → H2CO3
Figure 6. Transition state of 2H2O + CO2 → H2O + H2CO3
3. 5 振動解析
遷移状態の構造である事を確認するため、Mopac-Vibrational spectrum(FORCE)により、振動解析を行い、虚数ピークが1つであることを確認した(Figures 7, 8)。
Figure 7. Vibrational spectrum of the transition state of H2O + CO2 → H2CO3
Figure 8. Vibrational spectrum of the transition state of 2H2O + CO2 → H2O + H2CO3
3. 6 反応座標の計算
遷移状態の構造を用いて、Mopac-Intrinsic Reaction Coordinate(IRC)により、反応座標を計算した。Follow Vibrational Mode;+1,-1を指定することにより、遷移状態の構造から、反応物及び生成物にいたるまでの反応径路を計算させた。IRC計算の際には、Geometryのmaintain orientationをオフにした。IRC計算の出力の中から、エネルギーとIRCの距離を10点おきに抜き出し、IRCとエネルギーの相関図を作成した(Figure 9)。グラフ上の原点は遷移状態を示し、遷移状態から生成物への過程を正 、遷移状態から反応物への過程を負とした。
Figure 9. Correlation diagram of energy and intrinsic reaction coordinate
4 動画の作成
IRC計算の出力の中から動画作成に使用する分子の構造を50点おきに取り出し、以下の手順に従ってモデルを作成した後、Director に取り込んで動画にした。
4. 1 結合次数の表示
取り出した各々の分子について、Mopac-SCF energyの計算を行い、結合次数を得た後、Visualizer+により原子間の結合を結合次数に比例する半径の立体円筒形として表わした。この際、View Bond ShapeをDisplay bonds as single cylinders colored by atom color. The calculated bond order of 1 is represented by a cylinder radius of 0.07と指定した。
4. 2 キャストメンバーの作成
Visualizer+で開かれた分子ファイルをPICT形式でDirector に読み込み、動画の登場人物であるキャストメンバーとして登録した。
4. 3 動画
キャストメンバーとした分子をアニメーションが表示される舞台であるステージ上に配置し、キャストメニューにある「キャストのコマ落とし」を用いて、キャストメンバーがコマ送りになっている動画を作成した。
4. 4 結果と考察
計算により得られた遷移状態の構造をFigures 5, 6に示した。Mopac(AM1)[9]を用いて得た活性化エネルギーの値は、1分子の水との反応では、210.5 kJ/mol、2分子の水との反応では156.5 kJ/molとなり、2分子の水が関与する反応径路の方がエネルギー的に優位であること[4]が半経験的分子軌道法の計算でも確認された。この結果は、Nguyenら[4]によるab-initio 計算の傾向と良い対応関係を示し、遷移状態の構造も似ている事から、本反応系の様なプロトン移動の反応については半経験的分子軌道法の計算でも信頼性のある反応プロフィールを描ける事が分かった。
今回作成した動画を、教員養成課程1年および教養課程2年の理科の学生(約70名)に対して化学実験の講義枠における分子模型の演習後に見せた。「化学反応を理解する上で役に立つと思いますか?」という問いに対しては「そう思う」という意見が8割以上であった。また、「遷移状態前後における構造変化が理解し易い。」という感想も得た。化学反応のダイナミズムを理解させるのに「コンピュータ顕微鏡」による動的な表示は有効である事が分かった。
無償利用ソフトウエアはMacintosh版で、その実行ファイルは4.2 MBある。DropStuffit[10]で1.3 MBに圧縮してMacintoshフォーマットの1.4 MBフロッピーディスクに記録してあるので、Stuffit-Expander[10]を用いてハードディスク上で解凍して使用する。解凍したQuick Time movie[11]ファイルはDirectorのプロジェクター形式にしてあるので、アイコンをダブルクリックする事により起動する。13インチ以上のモニターで256色のカラー表示が必要である。
埼玉大学工学部応用化学科の時田澄男教授には動画表示について御助言を頂きました。ここに記して感謝致します。
参考文献
[ 1] 時田澄男, 渡部智博, 木戸冬子, 前川 仁, 下沢 隆, J. Chem. Software, 3, 37 (1996).
[ 2] 獅々堀彊, 倉橋研吾, J. Chem. Software, 1, 183 (1993).
獅々堀彊, 倉橋研吾, 化学とソフトウェア, 15, 349 (1993).
獅々堀彊, 倉橋研吾, 化学とソフトウェア, 16, 15 (1994).
獅々堀彊, 納谷貴之, 井戸有紀子, 小林良二, 化学とソフトウェア, 17, 3 (1995).
[ 3] 獅々堀彊, 化学とソフトウェア, 16, 79 (1994).
[ 4] Nguyen, M. T., and Ha, T. K., J. Am. Chem. Soc., 106, 599 (1984).
[ 5] 山辺 信一, 化学と教育, 43, 441 (1995).
[ 6] Oxford Molecular Group, Inc., 14940 NW Greenbrier Parkway, Beaverton,OR 97006, USA
[ 7] Stewart, J. J. P., MOPAC MANUAL (Sixth Edition), Frank J. Seiler Research Laboratory United States Air Force Academy, CO 80840 (1990).
平野恒夫, 田辺和俊, 分子軌道法MOPACガイドブック-2訂版-, 海文堂 (1994).
[ 8] Macromedia, Inc., 600 Townsend St., San Francisco, CA 94103, USA
[ 9] Dewar, M. J. S., Zoebisch, E. G., Healy, E. F. and Stewart, J. J. P, J. Am.Chem. Soc., 107, 3902 (1985).
[ 10] Aladdin Systems, Inc., 165 Westridge, Watsonville, CA 95076, USA
[ 11] Apple computer, Inc., 1 Infinite Loop, Cupertino, CA 95014, USA
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