分子間相互作用エネルギー計算による 複合脂質結晶構造の解析

中田 吉郎*、 滝沢 俊治、 矢吹 貞人、 平井 光博

   
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1.はじめに

生体膜はすべての細胞および細胞内諸器官の構造と機能において重要な役割を担っている。 生体膜はグリセロリン脂質と膜タンパク質を主要な構成物質として構築されているが、形態 的には脂質分子の作る二重分子層が膜構造の基本であることがわかっている。したがって生 体膜の構造と機能を理解するためには、その構成要素である脂質分子の集合体がどの ような配置を取るかを、脂質分子の種類、立体構造などと結び付けて検討する必要が ある。
ジラウロイルホスファチジルアミンなどいくつかの脂質に関しては、その結晶についてX線 結晶構造解析法により詳細な構造[1,2]が わかっている。それらの研究によれば脂質の結晶の 特徴は以下のようである。 観察されている構造はすべてラメラであり、極性部と非極性部は 二重層におけるのと同じように配置されている。ホスファチジルコリンやセレブロシドのよ うにかさばった頭部がある場合は詰め込みの問題があり、アシル鎖の方向が層面に垂直な方 向から傾くことにより調節されている場合が多い。この詰め込みの仕方が結晶のみならずモ デル膜や生体膜における膜脂質の性質を決定する重要な要因となっている。極性頭部は二重 層面に平行に配置し、可能なときには分子間で水素結合している。飽和のアシル鎖は全トラ ンスの立体構造をとっている。これらは脂質二重層の構造を考える上でたいへん重要である。 分子力場計算法は、有機化合物や生体高分子のコンフォメーションの解析において有効であ ることが示され、さらに複合体(DNA挿入複合体、蛋白質基質複合体など)や集合体(結 晶や液晶など)の構造解析にも適応されてきた。そこで本研究では、脂質分子集合体の構造 解析に分子力場計算法を適応することを試みた。

2. 計算方法

1)脂質単結晶構造モデル
脂質分子の結晶構造は、単斜晶型でユニットセルは4分子で構成されている場合が多い。ま た結晶の場合は水をほとんど含んでいないが、その構造は完全に水和した状態のもの(二重 層)と類似している。したがって二重層面はユニットセルのXY平面に平行になり、XY平 面のセルの頂点に脂質分子が4分子配置したとすると、その中央にもう1分子配置した構造 になる。この場合、4つの分子の中央に配置する分子のコンフォメーションが多くの場合頂 点に位置する分子のそれとは異なる。
 これらのことから結晶構造モデルとして図1に示すように、平面上に 9コのA分子(ユニッ トセルの頂点に配置)と9コのB分子(セルの内部に配置)の合計18個の脂質分子を規則 的に並べたモデルを考え、そのモデル構造の安定性を計算する生体膜構造プログラム(ME MBRANE)を作った。内容は図2図3で 示されるセルの大きさ(a,b)、B分子の 位置(R,θ)、A分子とB分子の向き(ψ1、ψ2、φ)を変数としてこの系の配置エネ ルギーを表わし、その安定構造を探索するプログラムである。系の配置エネルギーは分子間 相互作用エネルギーの和として求める。
   
        図1. 生体膜モデル構造図

分子間相互作用エネルギーEは、次に示すような非結合原子間の相互作用に基づく項のみの 和として求める。
       E=ΣEVDW+ΣEES+ΣEHB
  EVDWの項は、ファン・デル・ワースル力によるエネルギーでLennard-Jones の6−12型 ポテンシャルを用いる。
       EVDW=−A/r6+B/r12
ここでAとBは、各原子対に関し実験より決められるパラメータである。rは原子間の距離 である。
  EESの項は2原子間に働く静電相互作用エネルギーで次式で近似的に表わされる。
       EES=qiqj/εr
qは各原子の中心における電荷で量子化学の手法(本システムではCNDO/2法)で求め られる。 εは媒質の誘電率で、本システムでは3.5ε0(ε0:真空中の誘電率)を用いる。
EHBの項は、水素結合形成によるエネルギーで、次式を用いる。
       EHB=−C/r6+D/r12+qiqj/εr
ここでCとDはパラメータでEVDWの場合の値とは異なる値[3]を用いる。
 
           図2. XY平面上における分子の配置図

系の配置エネルギーは、図2に示すような番号を分子に付けた場合、次に示す10対の分 子間相互エネルギーの和として求める。
  (1−−−2),(1−−−5),(1−−−7),(1−−−11),(2−−−5),
(2−−−7),(2−−−11),(2−−−6),(2−−−8),(2−−−12)
2)計算手順とプログラム
 本モデルの計算は、変数が多いので2段階に分けて行う。まず第1段階は、A分子とB分 子の相対配置に関する計算で、図3に示すように分子間距離(R),AB両分子のZ軸の周り の回転角(ψ1,ψ2) ,分子内の炭素鎖の膜面に対する傾き(φ)の4つの変数で配置が決めら れる。
 
 図3.A分子とB分子の
      相対配置図

第2段階は第1段階で決められた AB両分子の相対配置を固定した状態で図2のような膜モデルを作成する。この場合は、ユ ニットセルの大きさ(a,b)とB分子のセル中の位置(θ)の3つの変数で全体の配置が決 められる。プログラムは UNIXシステム上の Fortran77 とC(グラフィックス部分)言 語を用いて作成した。グラフィックス表示は X-Windowシステム(Xlib のみ)を用いた。

3. 結果と考察

脂質およびその類似物質については、十数例の結晶構造解析[4]がなされている。ここでは、 そのうちの2例、ジラウロイルホスファチジルアミン(DLPE)とガラクトセロブロシド (GalCer)について計算を行った。
1)DLPEの構造
ジラウロイルホスファチジルエタノールアミンのD型とL型分子をA分子とB分子として計 算を行った。原子座標はX線解析値[5,6]を用い、 H原子の座標及び電荷はMMHSシステム[7] を用いて求めた。
 
           図4.DLPEの分子構造図

第1段階の計算ではφを0°とし計算を行った。これは結晶構造解析のデータで、鎖の方向 が膜面にほぼ垂直であることから仮定した。この結果安定配置の一つとして(R= 7.1 Å、 ψ1= 220°、ψ2= 230°)という値が得られた。
この値を用いて第2段階の計算を行った結果が図5である。この図では、a=7.0Å、b =9.5Åの所がエネルギーの極小点となった。X線解析データによると、結晶系は単斜晶形、 単位格子中の分子数は4個、2重層面と平行な面の単位格子の大きさはa=7.77Å、b= 9.95Å である。
 
図5.DLPEモデルのセルの
   大きさと配置エネルギーの
   関係図
 (エネルギーの単位:kcal/mol)

図6図5から得られた極小構造を、膜面に 垂直な方向から見た状態を表示したものである。
この図から脂質分子がきれいに隙間なく配列して膜構造を作っていることが示されている。
 
      図6.DLPE分子の膜モデル構造図
         HyperChem (Hypercube社)による表示

2)GalCerの構造
GalCerの場合は、A分子とB分子複合体の原子座標が報告されている[8]のでそれを そのまま用いた。水素原子の座標および電荷はMMHSシステムを用いて求めた。したがっ て第2段階の計算のみを行った。
   
       図7.GalCerの分子構造図

図8にセルの大きさ(a,b)と配置エネルギーの関係を示すエネルギー地図を示す。この 図では、a=11.5Å、b=9.5Åの所がエネルギーの極小点となった。X線解析データに よると、2重層面と平行な面の単位格子の大きさはa=11.20Å、b=9.26Å である。
 
   図8.GalCerモデルのセルの大きさと配置エネルギーの関係図
                (エネルギーの単位:kcal/mol)

図9は得られた極小構造を、膜面の少し斜め上から見た状態を表示したもので、アシル鎖が 膜面に対し49°傾き、頭部がうまく詰め込まれている状況が示されている。
 
          図9. GalCer分子の膜モデル構造図
 
            HyperChem (Hypercube社)による表示

以上2例であるが、膜分子の立体構造をもとに結晶構造を推定することができた。結晶構造 は分子動力学計算などの初期構造として使われる。結晶になりにくい脂質(とくに不飽和鎖 を含む分子)の場合でもこのプログラムを使用すれば結晶構造を推定できるので、初期構造 を得ることができる。

文献

1)M.Sundaralingam, Ann.N.Y.Acad.Sci.U.S.A., 195, 324〜355 (1972).
2)H.Hauser, I.Pascher, R.H.Person and S.Sundell, Biochem.Biophys.Acta, 650,    21〜51(1981).
3)D.Poland and H.A.Scheraga, Biochemistry, 6, 3791〜3800 (1967).
4)D. Marsh, Handbook of Lipid Bilayers, CRC Press (1990).
5)P.B.Hitchcock, R.Mason, K.M.Thomas and G.G.Shipley, Proc.Natn.Acad.Sci.U.S.A., 71,  3036〜3040 (1974).
6)M.Elder, P.Hitchcock, R.Mason and G.G.Shipley, Proc.R.Soc.Lond.A., 354,    157〜170 (1977).
7)Y.Nakata, Gunma Journal of Liberal Arts and Sciences, 21, 43 (1987).
8)I.Pascher and S.Sundell, Chem.Phys.Lipids, 20, 175 (1977).

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