薬物の構造とその生物活性の相関(定量的構造活性相関, Quantitative Structure Activity Relationships)を解析することは,ドラッグデザインのみならず作用発現のメカニズムの解明にも重要である。近年,薬物分子の3次元立体構造がその受容体との相互作用の観点から着目されてきている。受容体の3次元立体構造が未知の場合,薬物分子の3次元立体構造の解析,構造比較等による計算化学からのアプローチが行われきている。生理活性ペプチド等の薬物分子で構造自由度が大きくなるにともない,一般的な配座探索として以下の3つの方法がある; (A)分子中の結合の回りの回転エネルギー障壁の周期性を考慮したいくつかの値を設定し,これらの組み合わせのすべての初期配座を分子力場法等で構造最適化する (systematic search),(B) 分子動力学計算のトラジェクトリーを利用する,(C) Simulated Annealing などMonte Carlo 計算を利用する。(A)のsystematic searchは網羅的な手法であるが,二面体角の数の増加にともない,初期配座数は指数関数的に急激に増大する(Combinatorial Explosion) 。他方,近年,安価なワークステーションを用いた並列処理による大規模分子科学計算が積極的に行われている[2]。ここでは広範囲なsystematic searchを並列処理により行い,殺虫作用を有する幾つかのピレスロイド系化合物の安定配座の網羅的探索を行った。
ピレスロイド系殺虫剤は天然のpyrethrinの構造が解明されて以来,近年のMTI-800等にいたるまで興味ある構造変換が行われきた[3]。幾つかのピレスロイド系化合物の配座探索,配座の分類,3次元構造の重ね合わせから推定した活性配座に基づき,この構造変換についての考察を行った。他方,ピレスロイド系化合物についての配座解析[4,5,6,7]やHansch-Fujita法等によるQSAR 解析が行われてきている。松田,西村らはQSAR式においてピレスロイド系化合物が2系統に分類されることを報告している[15,16]。5種類の化合物の活性配座について幾つかの構造類似性指標(対応原子間距離の二乗和,対応原子間距離から算出するTanimoto coefficient, Pearsonの相関係数)を用いての比較,分類を行い,QSAR式からの分類との対応を考察した。
Figure 1. Structures of pyrethroids used in our analysis [3-7, 15, 16].
プログラムモデルは分散メモリーモデルである。計算結果(エネルギー極小化構造,エネルギー)はマスター上のEM5-postに転送され,既に保存された安定配座と重複しなければ保存される。この処理では各配座の構造極小化計算が独立であり,WS間のデータ転送量が小さいことから並列処理の効率が極めて高い。Iris Indigo Elan(Linpack 11Mflops, 50MHz, R4000)を12台まで用いたときの実行時間と効率(Speed up)を表1に示した。さらに結果ファイルとして蓄積された安定配座について,それらの特徴抽出,分類,構造類似性の評価の自動処理を行った。
Figure 2. Schematic diagram of the molecular mechanics, EM5 paralleled by PVM.
No. of WS | Elapsed Time (sec) | Speed Up |
---|---|---|
1 | 15110. | 1.0 |
2 | 7695. | 1.96 |
4 | 3928. | 3.85 |
8 | 2078. | 7.27 |
12 | 1369. | 11.04 |
F = S|rAi(QA) - rBi(QB)|2 (1)
ここで, QM(q1,q2,...,qm) は分子 M (M=A, B)の二面体角を表す。
重なりの程度の尺度として,Root Mean Squared Deviation (RMSD) 値を用いた。
RMSD = F1/2 / n (2)
Ddis2 = [S(dAij - dBij) 2] / nD2 (3)
Dtor2 = [S(torAi - torBi) 2] / nT2 (4)
dAij, dBij は3次元立体構造の重ね会わせにおける化合物 A, Bの対応原子間の距離,torAi, torBi は二面体角, nD, nTはそれぞれ用いた距離対,二面体角の数を表す(図1に用いた対応原子 (1,1’,2,4,8 ) を黒丸,二面体角を丸矢印で示した)。 Ddis, Dtorに基づき,配座解析の結果得られた安定配座の分類を行った。
(a) D1 = (SDd2)1/2 Dd = dAij - dBij (5)
(b) D2 = (SDd2)1/2 Dd = min [| (dAij±fAij) - (dBij±fBij) | ] (6)
[ ] 内が最小の値をとる
(c) Tanimoto coefficient [13,14], rT
rT (t) = NC / ( NA + NB - NC ) (7)
NC : |Dd| が基準値 t (0.1〜1.0 Å) を超えない距離対の数
Dd = dAij - dBij
NA, NB : 分子 A, Bの距離対の数 (NA =NB)
(d) Pearson correlation coefficient [14], rP
rP = [S(dAij . dBij) ] / (S(dAij) 2 S(dBij) 2)1/2 (8)
D1,D2 はその値が 0 に近いほど構造が類似していることを表す。 rT , rP は 1 のときに類似度が完全に一致,0 のときに一致していないことを表す。
Figure 3. Two conformational types of fenvalerate (1S,1'S).
全体的な重なりおよび対応原子間の重なりも良好であった(RMSD < 0.3Å)。またそれぞれの活性配座のエネルギーは最安定配座エネルギーからすべて10 kcal/mol以内であった。 以上の結果から得られた配座(折れ曲がり型)が活性配座であると推定した。pyrethrin, deltamethrin, MTI-800, fenvalerateの推定活性配座およびエネルギー値を表2に示す。
Figure 4. Bioactive conformers in superimposition.
Compounds | q1 | q2 | q3 (degrees)*1 | DE(kcal/mol)*2 |
---|---|---|---|---|
I | -101. | 7. | -104. | 6.1 |
II | -149. | 176. | -74. | 1.4 |
III | -122. | 178. | -76. | 1.8 |
IV | 174. | 171. | -63. | 0.8 |
次にピレスロイド系殺虫化合物の構造変換を考察した。3次元構造での対応をより直感的に理解するために2次元構造の対応で考察することにした(図5)。pyrethrin, deltamethrinの酸部分のビニル基はfenvalerate, MTI-800のフェニル基に対応している。
シクロプロパンとの結合部の光学異性がpyrethrin, deltamethrinとで異なっていることは表2中のq2がそれぞれ〜0., 〜180.であることに対応している。またpyrethrinのシクロペンテニル基はdeltamethrin, fenvalerateのシアノ基に対応していることが理解できる。
Figure 5. Two-dimensional correspondence in compounds I, II, IV and III.
Figure 6. The QSAR results of compounds V,VI,VII and VIII [15,16].
3次元構造の重ね合わせで化合物 I〜IVのそれぞれの活性配座にRMSD値が最小になるように,chrysanthemate, kadethrate, F4-cyclobutane-ester, Cl2-cyclopropane-esterの活性配座を構築した。さらにCHARMmを用いて活性配座近傍での動力学シミュレーション (300k, 3ps) を行った。この結果から距離 dMij,ゆらぎ fMij 行列を求め,式(5),(6),(7),(8)で定義される4種の構造類似性指標 D1,D2,rT,rPを算出し,上記4化合物およびIV: fenvalerateの間の構造比較を検討した。すなわち5化合物について図1に示した9原子 (1,1’,2,3,...,8 ) 間から得られるdMij, fMijのうち,化合物間で差を生じない要素を除去して得られるそれぞれ22個のdMij, fMijから類似性指標を算出した。 表3にchrysanthemateのcis体(1R,3S)およびtrans体 (1R,3R)と各化合物とのD1,D2,rT,rPおよび重ね合わせの程度の指標,RMSD, Cvolの値を示す。D1, D2はRMSDが最小,Cvolが最大の重ね合わせの程度の最も良好な化合物を識別し,化合物間の差異をとらえている。 rPはすべて0.98以上と高く,化合物間の構造の差異を識別しなかった。一方, rTは基準値tに依存するが,t=0.6Åのとき,各化合物の光学異性体も含めて化合物間の差が最も大きく,構造の差異を良好にとらえていた(図7)。rT(0.6)値でkadethrateのcis体(1R,3S)とその trans体(1R,3R),fenvalerateの(1S,1’S)と(1S,1’R)体とが識別されている。fenvalerateの(1S,1’S)体とのrT(0.6)値がより大きく,活性の順に合致する。 次に各化合物の対応原子を酸部分(1,2,3,4,5)とアルコール部分(7,8)に分け,両者の間の10対の原子間距離から算出したrT(0.6)の値を表4に示す。構造類似性が高いF4-cyclobutane-esterとCl2-cyclopropane-esterに着目すると,kadethrateのcis体とF4-cyclobutane-esterとのrT(0.6)はkadethrateのcis体とCl2-cyclopropane-esterとの値より大きく, chrysanthemateのtrans体とCl2-cyclo-propane-esterとのrT(0.6)はchrysanthemateのtrans体とF4-cyclobutane-esterとの値より大きいことが分かる。
以上の結果はQSAR式からの分類結果[16]と対応している。またD1, D2とともにTanimoto coefficientは分子全体の類似性を反映すると同時に化合物間の局所的な構造の差異も反映する構造類似性の尺度となることが分かった。
Table 3. Structure Similarity in Compounds IV〜 VIII*1
Compound A | Compound B | D1 | D2 | rT(0.6)*2 | rP | RMSD*3 (A) | Cvol*4 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
(A) | |||||||
V cis(1R,3S)
| V cis(1R,3S) V trans(1R,3R) VI cis(1R,3S) VItrans(1R,3R) VII (S) VIII (S) IV (1S,1’S) IV (1S,1’R) | ― 3.674 1.683 5.863 4.224 5.482 3.780 6.412 | ― 1.500 0.749 3.120 3.002 3.673 2.102 4.478 | ― 0.760 1.000 0.517 0.630 0.630 0.760 0.375 | ― 0.992 0.997 0.984 0.990 0.989 0.990 0.987 | ― 0.442 0.069 0.343 0.445 0.474 0.426 0.492 | ― 0.76 0.91 0.84 0.81 0.84 0.79 0.80 |
V trans(1R,3R)
| V cis(1R,3S) V trans(1R,3R) VI cis(1R,3S) VI trans(1R,3R) VII (S) VIII (S) IV (1S,1’S) IV (1S,1’R) | 3.674 ― 4.199 4.002 4.287 4.199 3.927 5.917 | 1.500 ― 2.600 1.643 3.078 2.574 2.199 3.664 | 0.760 ― 0.630 0.760 0.517 0.630 0.760 0.467 | 0.992 ― 0.988 0.991 0.987 0.990 0.989 0.982 | 0.442 ― 0.132 0.051 0.714 0.665 0.532 0.612 | 0.85 ― 0.80 0.98 0.86 0.80 0.79 0.81 |
Figure 7. Dependence of the threshold value, t on Tanimoto coefficient (with V chrysanthemate (cis)).
ピレスロイド系殺虫化合物 pyrethrin, deltamethrin, MTI-800, fenvalerate について大規模並列配座探索,分類および3次元立体構造の重ね合わせを行い,その結果,良好な重なりを示す低エネルギー共通配座,すなわち活性配座を推定した。さらにfenvalerate, chrysanthemate, kadethrate, F4-cyclobutane-ester, Cl2-cyclopropane-esterの推定活性配座について幾つかの構造類似性の指標を用いて比較検討した。その中で各化合物の対応原子間距離の二乗和,および原子間距離から定義するTanimoto coefficient は分子全体のみならず局所的な構造の差を反映し,類似性の指標として有効なことが示された。 Tanimoto coefficient による分類は各化合物の活性データおよび西村らのQSAR解析からの分類と対応していた。
Table 4. Tanimoto Coefficient, rT(0.6) among Compounds V, VI, VII and VIII
Compounds* | V | VI | VII | VIII |
---|---|---|---|---|
V | ― | 0.667 | 0.818 | 1.000 |
VI | 0.667 | ― | 0.818 | 0.667 |
VII | 0.818 | 0.818 | ― | 1.000 |
VIII | 1.000 | 0.667 | 1.000 | ― |
謝辞 本研究に際し,貴重な御助言をいただきました京都大学名誉教授 藤田 稔夫先生に深く感謝いたします。
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