ネットワーク新時代に対応した新しい講義システムの試み
鈴木 久雄,伊澤 俊二,尾崎 成子,矢野 敬幸
Return
1. はじめに
21世紀を目前にコンピュータを端末とする情報ネットワークは社会基盤として急速に整備拡充されつつある.それに伴い新しいタイプの様々な文化や産業が生まれようとしている.研究や教育においても例外ではなく,その目的に応じた様々な情報ネットワークの利用方法が考えられる.新しく登場してきたこの技術に対する興味と関心の深さを反映して化学分野においても様々の解説や紹介[1]−[8]がなされるようになってきた.その中で,化学教育へのインターネット利用例[9]についても紹介されている.化学ソフトウエア学会でも漸くその種の報告[10]−[11]がなされるようになってきたが,まだその端緒についたというべき段階である.新しい技術が新しい時代と新しい文化を生み出してきたことを見るなら,教育もネットワーク新時代に見合う新しい在り方を模索しなくてはならないのはいうまでもないことである.
ネットワーク上で最も利用されているクライアント・サーバシステムの一つにWWWがある.このシステムではサーバと呼ばれるコンピュータに文書や画像・音声などのマルチメディア情報がおかれている.これらの情報は,別のコンピュータ(クライアントと呼ぶ)からブラウザと呼ばれる閲覧ソフトを介して手に入れることが出来る.閲覧される情報の中にタグと呼ばれる別の情報源を指示するデータを挿入しておくことが出来る.クライアントが要求すれば,タグで指示された情報を得ることが出来る.この参照機能(リンク機能)を利用して関連事項を有機的に結合することが出来る.マルチメディア情報やリンク機能を持ったWWWは,教育の目的に広い応用が可能なシステムといえる.
学内LANとそのインターネット環境が整備された今,オンラインの新しい教育方法の可能性が拓けてきた.従来の教育方法では定められた時間に定められた教室で教師が学生に講義をする形態であるのに対して,ここで提案する方法では学生は自由な時間に適当な端末からアクセスする.しかも学生は自分の適性や知識に応じて自由に学習を進めることが出来る.もし学習内容について質問や疑問がある場合は,ブラウザを介して質疑応答コーナーに投書出来る.これに対して教師側からは適切な回答を投書することになろう.受講生の達成度をテストし修了認定するのもすべてブラウザを通じてなされる.
最近,入試制度の多様化に伴い大学での自然科学教育の前提とされていた高校程度の基礎的な理科の知識が不完全な学生が多くなってきた.そのため大学での自然科学系諸科目の受講に先だって補習的・予備的な理科教育の必要性が出てきた.本学で実施している「サイエンスミニマム」[12]という講義はまさにその目的のために開講されたものである.現在は理科系スタッフによるオムニバス方式で行っているが,本システムが本格的に動き出せば,このような教師側の負担は軽減され,各自の専門教科の大学教育を充実させることができるものと期待される.また学生側から見ても,自分の最も必要とする事項をそのつど学習できるので,学習効率の向上が期待される.さらにネットワーク教材としてコンピュータの特色を生かしたものとすることで,印刷物教材[12]と相互補完させることで一層の教育効果をあげることができるなどのメリットがあげられる.本システムは基本的に学内LANの内部での使用を前提としているが,運用の仕方によりインターネットを介して遠隔地から利用することも可能である.
2. オンライン講義システムの構築
2.1 システムの設計
システムの設計に当たって考慮した事項を表1に示す.これらの要求を満たすために,すべての操作や処理が基本的にWWW上で行えるようにした.すなわちWWW 対応の電子掲示板システムや電子メールシステムを組み合わせることによって,表1の項目(2)のインターフェースの問題に対応することとした.項目(1)の(e)の学習状況の把握については「どの学生」が「どの教材」を「いつ」学習したかを知る必要がある.WWW のサーバ・プログラムに予め組み込まれているユーザ認証機能によって「どの学生」かを特定し,「どの教材」及び「いつ」かという履歴管理については,2.2.2節で述べる Server Side Include(SSI)[13]で対処した.
Table 1. Matters Considered in the System Design
2.2 システムの構成
2.2.1 基本構成
インターネット上で提供されているサービスであるWWWを講義システムの基本に据える構成とした.本システムの詳しい全体図を図1に示す.
クライアントについては,学生側,教師側ともに最低限WWWブラウザを使用することを前提とする.その他,必要に応じてメールを読むための電子メールソフトを別途使うこともある.さらに教師側では,最低限HTML文書が作成でき,他にも画像や Java アプレットなどの教材が開発できるだけの各種ソフトウェアの環境を整える.
サーバ側には,WWWサーバプログラムを中心に,質疑応答のシステムとして使う電子掲示板システム,メールの自動一斉送信に使われるメーリングリストのシステムを搭載し,それらのユーザ情報を統一的に管理するプログラムを組み込んだ.
Fig.1 A Diagram of the Lecture System
2.2.2 使用ソフトウェア
サーバとしてUNIX 系 OS(以後 UNIX と略す)を採用した.管理には手間がかかるが,動作の安定性が高く,多くのユーザを同時に処理できること,また既存のソフトウェアが多岐に亘って存在することを考慮したためである. 今回は特にパソコン用であり,かつフリーソフトウェアである,FreeBSD[14] を選択した.
受講生の教材へのアクセス履歴を管理するために SSI を使用することが前提になっているので,WWW のサーバプログラムとしてNCSA 製 httpd [15]の上位互換を目指して作られている,Apache 製httpd[16] を採用した.
Apache httpdの特色は,開発のベースとなったNCSA httpdの設定や機能を踏襲した上で,モジュールによる機能追加を可能としたこと,処理速度の向上がなされたこと,安定性や安全性を考慮したことがあげられる.モジュールによる機能追加の例としては,データベースとの連携,匿名ログインといったものがあり,本システムのサーバでも一部拡張機能として組み込んでいる.現在,WWWサーバとしては最も広く使われており,NCSA httpdから蓄積されたノウハウも多数あるため,管理面でも有用と考えられる.
講義システムの中身である教材は,HTMLをベースとし,画像や Java アプレットなどがそこに組み込まれている.さらに履歴システムを動作させるために,各HTML教材ファイルの冒頭には,履歴を記録する自作プログラムをSSI の命令として挿入してある.これがあると教材がサーバからクライアントに送り出される際に,この命令が実行され,履歴がとられる.
テキストデータやインライン画像までは標準的な WWW ブラウザでサポートされているが,動画ファイルによるアニメーションや音声ファイルの再生などは,プラグイン(Netscape)や,追加コンポーネント(Microsoft Internet Explorer)などと呼ばれる拡張機能をあらかじめWWW ブラウザに組み込んでおかなければならない.今回の試みにおいて受講生は標準的ブラウザを使うことを前提としているので,機能の拡張を要するアニメーション等は除外した.しかし現状でも簡単なアニメーションであれば新しいGIF 規格[17]により実現できる.VRML[18]も動画的利用が可能であるが,機能の拡張を要するので除外した.
自動採点式のテストについては,
・「問題+解答解説」の 『データベース』
・「問題を表示」し,「提出」する 『インターフェース』
・「採点→結果記録+解説出力」の 『ゲートウェイ』
の3分割構造として,それぞれをプログラム間通信によって連携させることとした.『データベース』はテキスト形式で記述され,残りは WWW 上のhttpd の機能の一つである Common Gateway Interface(CGI )[19]を利用することとした.
質疑応答のシステムには,操作性の問題から WWW 上で動作する電子掲示板システムを使用することとした.いくつか出回っているソフトウェアの中から,学会発表時にはHyperNews[20]を使用したが,将来的には利用者データベースの都合から,「きのぼうず」[21]への移行も検討中である.
その他,学生からの事務的な問い合わせであるとか,教師間での連絡などについては,電子メールを活用することになる.その際に,教師間の連絡や,学生への一方的な通知に関しては,メールアドレスを一つにまとめるメーリングリスト[22]という仕組みを用い,連絡などが容易になるようにした.
2.2.3 自作プログラム
今までに述べてきたシステム構成では,無償で流通している各種ソフトウェアを組み合わせて利用しているだけであるため,利用者としての学生の情報を各ソフトウェア間の壁を越えて同時性を保って一元的に管理することが出来ないという不都合がある.
そこで今回のシステムでは,各ソフトウェアに備わっている「ユーザを管理するファイル」(例えばパスワードファイルや氏名・メールアドレスなどを収めるファイル)に着目し,それらを変更があるたびに自動更新するプログラムを自作することとした.具体的にはそれぞれのプログラム用の管理ファイルから重複しないようにしてすべての項目を抜き出して,一つに統合されたデータベースを構築する.変更はすべて,まずその統合データベースに対して行い,これをもとに他の各プログラム用の管理ファイルを書き換えることとした.
そのために,統合データベース専用の変更プログラムを作成した.使用言語は Perl (Practical Extraction and Report Language)[23] で,WWW 上での統一的な操作のために,CGI を利用できるようにした.
2.3 講義システムとしての運用
このシステムを新しい教育方式として利用していく上で,そのマルチメディア性を生かすために,教材には画像をふんだんに盛り込むこととした.文字中心の教科書と併用することで,相乗効果を期待することができるからである.
また,教材そのもののインタラクティブ性を生かすためには,学生の手を動かして能動的に学習させる意味で,Java は有効である.簡単な小テストや分子モデルのマウス操作による視点制御,ドライラボ的な実験操作が可能となる.ただし,この場合は,Java に対応していない WWW ブラウザも存在していることに留意すべきである.
テスト(最終の単位認定試験)に関しては,自動採点する必要性があるためにおのずと多肢選択形式の問題が中心となるが,その中で設問形式を工夫することで,正誤判定や複数選択など,様々な問題形式を組み合わせることで能力をより正しく測れるようにした.画面例を図2に示す.
Fig.2 An Example of the Achievement Test
電子掲示板に関しては,インターネットサービス上に存在するネットニュースシステムを参考に,目的別,分野別にグループ分けし,「質問とその回答を多数の学生で共有する」という効果を最大限に発揮させるようにした.
電子メールとその周辺のシステム(メーリングリストなど)は,ともすると電子掲示板的な役割,すなわち「共有できる学習上の疑問点」を質問したりする際に使われがちであるが,電子掲示板では達成できないこと,例えば,1対1の連絡や,教師間の連絡などに活用されるように運用面で留意する必要がある.
学生を統括的に管理するための自作のデータベース,およびその変更・反映システムについては,学生側からの自分のデータのみの変更が WWW のCGIを利用したインターフェースから可能になっている(図3).しかし,パスワードを忘れた学生のために,管理する者が強制的にそれを変更する場合には,UNIX のコマンドとして操作することで対処するようにしてある.
Fig.3 A Renewal of User's Personal Data
3. システムの実証試験結果と考察
3.1 実証試験
このシステムが実際にうまく機能するかどうかを見るために学生有志に仮想的受講生となってもらい,実証実験を行なった(図4).使用してもらった端末機は情報センター演習室(国立40台,小平90台),学生用PC室(40台),当研究室(4台)およびPPP接続による学外機からである.
1. 実験期間: 第1期は 1996年 6月28日 〜 1996年 9月22日,第2期は1996年 9月23日 〜 1996年10月20日である.第1期,第2期で実験内容に基本的な変化はない.ただし,第2期ではアクセス日を指定することで,アクセス集中の状況を発生させやすくした.
2. 参加人数: のべ約50人(=学生約45人+教師/管理者5人).
3. 実験方法: WWW ブラウザを用いて,教材を閲覧するなど,システムにアクセスしてもらう.場所などについては任意としたが,第2期においては,アクセス日の指定を行なった.アクセスに関してトラブルなどがあれば,各学生からメーリングリストで流してもらった.
Fig.4 A Home Page for an Actual Proof of a New Lecture System
3.2 実験結果
(1) アクセスが最も集中した時間帯においてもシステムへの負荷は高くはなかった.
(2) 同時アクセスによるロック(一方の処理中には他方を待たせる)処理や記録ファイルの損失などは一切なかった.
(3) 時間帯による実験期間中の総アクセス回数のグラフを図5に示す.これからわかるようにアクセスのない,いわゆる「空白の時間帯」は,早朝3〜7時台であり,一方,最大のアクセスがあった時間帯は,15〜17時台(放課後)であった.
(4) 第1期の「アクセス日の指定なし」の場合,学生のアクセスには,まとめて一気に全教材にアクセスするという傾向が強く出た.
(5) アクセス回数の比率としては次のようであった.
学内機:学外機=10:1
Macintosh機:Windows機:UNIX機=1:7:2
3.3 考察
結果(1),(2)に関しては,実験参加者の絶対数が少なかったためであろう.実際には数百人の学生が受講することもありうるため,その場合にはアクセス記録などをテキストファイルだけで行う現行の方式で処理できるかどうかはさらにテストする必要がある.
Fig.5 Distribution of the Number of Access Times
(3)に関しては,保守に適した時間帯を明確にし,一方でトラブルの発生しやすい時間帯も明確にできた点で意味がある.
(4)に関しては,実験参加者に動機がない実験であったためではないだろうか.この点に関しては,今後の利用時には運用面で考慮すべきではないだろうかと思われる.
今回の実験を総括してみると,処理速度では不満が無きにしもあらずではあるが,少なくとも50人程度であれば,システムの動作自体は確実に行われることが確認できた.
4. 終わりに
本論文では実験段階ということで,内容的には化学分野に限ったが,他分野の方々の協力も得て物理学・生物学などを含めた実際的なシステムへと発展させる予定である.その際,各分野間での関連事項を結びつける上で,WWW システムのリンク機能が大いに役立つと考えられる.
また,学会発表時にはシステム構築に重点をおいたため,教育的内容の吟味にまで手が回らずテキストデータ主体になってしまった.しかし,今後実際に利用する段階では,教科書との併用を考えており,本システムでは出来るだけ図表やグラフなどの,コンピュータならではの内容を表示する計画である.そのためにも,将来的な構想として,
(a) Java を用いたインタラクティブな教材の提供, (b) より高度なアクセス状況の把握,
(c) 数百人規模の学生に対応できる学生統合データベースの構築, (d) オンラインミーティングシステムの利用 , (e) データ検索システムまたは既存のシステムを利用するためのインターフェースの作成 , (f) より容易なWWW教材作成のためのツールの作成,
などを考えている.
この研究は文部省科学研究費No.08458028により実施したものであることを記して謝する。
引用文献および注
[1]佐藤俊彦,福田勇一,神長京子:「インターネットによる化学教育情報の検索」,化学と教育, 43(8), 535-536 (1995).
[2]神長京子,佐藤俊彦:「インターネット上の化学系情報サーバの紹介」, 化学ソフトウエア学会'95研究討論会講演要旨集演題番号202, 42-43 (1995).
[3]時実象一:「化学の世界のWWW],現代化学,No.300, 3月号,61-64 (1996).
[4]吉村忠与志:「インターネットの現状とその利用」,化学とソフトウエア,18,7-13 (1996).
[5]中野英彦:「化学ソフトウエア学会におけるインターネットへの取り組み」,化学とソフトウエア,18,14-15 (1996).
[6]佐藤きよ子:「WWWにおける化学教育リソース」,化学と教育,44(11),735-736 (1996).
[7]下古谷博司,田添丈博,西村宏一,国枝義彦:「化学教育関連ホームページへの第一歩」,化学と教育, 44 (11), 737-738 (1996).
[8]野田義彦:「インターネット上での化学教育情報検索と海外教員との意見交換」, 化学と教育,
44(12) , 786-787, (1996).
[9]Brian M.Tissue ,"Development and Delivery of Chemical-Education Hypermedia Using the World-Wide Web," On-Line Symposium on "New Initiatives in Chemical Education," June 3 to July 19, CHEMCONF '96 (1996).
[10]伊澤俊二,鈴木久雄,山田智彦,尾崎成子,矢野敬幸:「ネットワーク新時代に対応した新しい講義システムの試み−文系大学における自然科学予備教育への応用−」,化学ソフトウエア学会'96研究討論会講演要旨集演題番号213, 76-77 (1996).
[11]本間善夫,田中直子:「環境化学学習のためのWWWホームページ作成」,化学ソフトウエア学会'96研究討論会講演要旨集演題番号205, 58-59 (1996).
[12]一橋大学理科教育研究会:「サイエンスミニマム10講」,培風館 (1996).
高校の理科教育でなされる物理・化学・生物・地学の内容を検討し,文科系大学の自然科学系諸科目の講義を理解する上で必要と思われる最低限の基礎知識をテキストとしてまとめた.われわれはこの授業を「サイエンスミニマム」と名付けている.
[13]WWWサーバの文書情報などはHTML 形式で記述される.その中にはコメント文を挿入できる.その際たとえば <!--#exec cmd="/minimum/logs/bin/mkusrlog" --> のようなサーバへの命令となる文字列を挿入することで,それをサーバに処理させて,場合によってはその結果を取り込んでクライアント側に送り出す仕組みをいう.
http://www.st.rim.or.jp/~hirono/cgitips/ssi.html
[14]FreeBSD公式 WWW サーバ, http://www.freebsd.or.jp/
[15]NCSA(アメリカ・イリノイ大学のスーパーコンピュータセンター)で製作したhttpd (Hyper-Text Transfer Protocol Daemon). WWW におけるサーバプログラム.もともと UNIX 用に開発され,UNIX上では Daemon という形でいわば裏方として動作する.
[16]Apache プロジェクト, http://www.apache.org/
[17]パソコン通信網 Compuserve において採用されている画像ファイル規格 GIF 89a .
[18]Virtual Reality Modeling Language, http://vs.sony.co.jp/
[19]全くの実行可能プログラムであり,クライアントからの入力を受け取って,しかるべき処理を行ったのち,その結果を HTML 形式で出力し,クライアントに送り出す仕組み. KDD技術メモ, http://w3.lab.kdd.co.jp/technotes/
[20] http://www.ita.tutkie.tut.ac.jp/HyperNews/get/top.html
[21]WWW上で自由に意見交換を行うことを目指して作成されたシステムで,プログラムは無償配布されている.詳しくは,http://www.kinotrope.co.jp/~nakahiro/kb.shtml
[22]Majordomo/Distribute, http://www.y-min.or.jp/~nob/ML.html
[23]Larry Wall and Randal L. Schwartz ,(近藤嘉雪 訳 ), 「Perlプログラミング」,ソフトバンク (1993).
Return