コンピュータ化学と生命 -「物質の計算としての化学反応・生命」の編集を通じて-
公立はこだて未来大学 複雑系知能学科 櫻沢 繁
(2010年08月12日 JCCJ, Vol.9, No.3, A9.)
学問の名前の英語表記には,mathematics,physics,informaticsなど-icsで終わるものとbiology,physiology,psychologyなど-ologyで終わるものとがあります.そのように,多くの学問が,-icsや-ologyと呼ばれる中でchemistryはそのどちらでもありません.このような名前の違いは,学問の成り立ちの歴史や方法論の違いを反映しています.それらの学問領域が横断的に連携し新たな学問領域が生まれる中で,化学と計算機科学が融合したことは歴史的には不自然ではないものの,方法論に大きな違いがあることに着目すると,両者が融合したことはとても興味深いと思います.
電気工学やシステム論から生物の自立性を眺めるに至った私にとって,化学反応とはとても魅力的に思われます.その魅力とは,「実験者が動く仕組みを設定せずとも,物質がそれ自身の都合で勝手に振舞う.」という点にあります.例えば,計算機によるシミュレーションを考えると,その時間発展を展開するためには運動の素過程を私達が設定する必要があります.しかし化学反応は,反応の素過程に私達が介入しなくとも,分子自身が状況に基づいて自ずと結果を導き出します.それらの差は,「計算をしているのは誰か?」という問いの下に明確に現れます.生命の自立性を考える上で,この「物質の計算としての化学反応」の性質はとても強力な方法論となる可能性を秘めていると考えられます.
門外漢であった私が日本コンピュータ化学会にお誘いいただいた当時,そのお誘いいただいた意味をよく理解していませんでした.しかし,このたび特集号「物質の計算としての化学反応・生命」を企画・編集させていただく中で,最近,少しずつ分ってきたような気がします.このような機会を与えてくださった本学会と,一見すると意味の分かりにくい誤解を招きかねないタイトルであるにもかかわらず,本特集号にご理解,ご賛同いただき,興味深い論文をご投稿いただきました著者の皆さま方に,心よりお礼を申し上げます.