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ある疑似理論家の回想

静岡大学理学部 相原 惇一

(2006年12月15日 会告Vol.5, No.4)

日本ではどんな研究でも長期間続けないと、その道の専門家とは見なされない。私は途中で実験屋から理論化学に転向したので、長らく理論家とは認められなかった。おまけに、理論家とは称しても、最新の分子軌道法や分子動力学の計算を行うのではなく、はなはだ素朴なヒュッケル分子軌道法しか扱わない理論家である。これではまったく話にならない。というわけで、本会会長の細矢治夫氏らを数少ない例外として、多くの研究者から相手にされない状態が続いた。

私の長年の研究テーマは「芳香族性の実体の解明」である。ケクレがベンゼンの分子構造を提唱して以来、欧米では「ベンゼンのような環状分子は、不飽和結合があるのにどうして安定なのか」という問いが繰り返しなされてきた。これが芳香族性の問題であり、ケクレ自身、「どういう訳だか、6個の炭素原子からなる核(ベンゼン環)は非常に強固である」と言っている。しかし残念ながら、多くの日本人には「芳香族性の問題は未解決」という認識がなかった。認識がないから、それを前提にした研究が評価されるはずはない。おまけに、相原の研究はママゴトに他ならず、ヒュッケル法をもてあそんでいるだけではないか。

ところが、ヒュッケル法は、知る人ぞ知る非常にエレガントな分子軌道法である。解析的な取扱いが縦横にできるのはヒュッケル法だけだし、その特性多項式の係数は当該の共役系の構造と結びつけられる。芳香族性の研究にこれを利用しない手はない。そもそも、芳香族性は環状共役系に特有の熱力学的安定性だし、芳香族分子の大きな反磁性も、ロンドンの反磁性理論によれば、その中に誘起される環電流と関係している。そうなると、芳香族分子に固有の安定性と反磁性の起源は同じではないのか。このような問題意識をもって、ヒュッケル法だけを武器に細々と頑張ってきた。恐ろしいもので、あっという間に30年が過ぎ、来年はもう定年である。

それで、私のこれまでの人生はどうだったのか。私も人並みに日の当たる表街道を歩みたかったが、それは叶わず、まだ本物の理論家として認められてはいない。それでも最悪ではなかった。任意の分子の任意の電子状態に対する芳香族性の判定基準を見つけた。芳香族分子の安定性と環電流による反磁性の関係も何とか見つけられ、本誌にこうやって巻頭言を書かせていただける程度には、評価されるに至った。ヒュッケル法にこだわっていなければ、事情はだいぶ異なっていたはずである。それはともかく、私の人生はまだ終わりではないので、本会の会員諸氏にはもう少しの間、お付き合いを願いたいと思っている。

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