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大規模・高精度計算への雑感

首都大学東京 波田 雅彦

(2006年6月15日 会告Vol.5, No.2)

量子化学計算の理論的進展の方向は大規模計算と高精度計算に向かっている。筆者にとって、高精度計算の目標は単純で解りやすい。この領域では電子相関と相対論が最近の二本柱である。目標とするのは「化学的精度」であり、エネルギーに換算すれば凡そ1kcal/mol程度であろう。分子物性に関する計算精度の目標値を一概に云うことは難しいが、個々の物性にそれなりの努力値がある。周期表の全原子に渡って化学的精度のエネルギーを与えるにはDirac方程式相当の理論が必要であり、核磁気遮蔽定数の計算では場合によってはQED補正も導入されている。非相対論的計算と同程度の計算量でどこまで高精度な相対論計算が可能なのか、理論的な創意工夫の余地が大いにあり、ここ数年間の発展は目覚しい。

創薬科学の分野において、標的蛋白質と薬剤化合物との組み合わせが薬理活性を発現するか否かを決める違いは自由エネルギーに換算すると数kcal/mol程度であると聞く。標的蛋白質と薬剤化合物のドッキングには数秒オーダーの時間が掛かるため、この反応過程の自由エネルギー変化を現実系に近いMDシミュレーションで求めることは不可能に思える。反応前と反応後のMDシミュレーションを独立に実施して自由エネルギー変化を求めるようなストレートな試みは無残な失敗に終わる。大規模計算であるから粗い近似法でよいという考え方が危険かつ有害であることはMD・QC共に云える事を知る。化合物の性質を大掴みに捉えた構造活性相関理論の不思議な威力と微視的シミュレーションの無力を思い知る領域である。しかし、ここ数年において、この種の自由エネルギー変化がMD計算によって現実に得られている。ブレークスルーとなったのは勿論理論的な創意工夫である。明確な目標の中に真のブレークスルーが生まれる事を教えられる。

大規模計算の目標は筆者にとって少々解り難い。学生の頃は素直に大きな計算をすることに喜びを感じた。可能な限り大きな分子を計算しても研究の必要を満たさなかった。但し、当時は、水分子のRHF/4-31G*を指導教官に無断で実行できなかった時代である。数年前、ヘム蛋白まるごとの電子状態計算が実行された。Fe原子のd-軌道が蛋白の外側まで広がっている話にはいささか心がしびれた。しかし、蛋白質まるごとの波動関数(エネルギー)を得たら何ができるのだろう。酵素反応を研究するために未だに数十原子のささやかなモデル系を使っている筆者には、悲しいかな、それ以上の想像力が沸かない。辿りついた人は解っているのであろう。筆者の物を考える順序が逆なのかもしれない。必要があれば計算したいと熱望するのであろう。「私が      をするためにこそ蛋白質まるごとの波動関数(エネルギー)が必要だ!」。空欄を埋めよう。

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