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ITの功罪

三井化学(株) 三戸 邦郎

(2006年3月15日 会告Vol.5, No.1)

昨年発覚した耐震強度偽装事件が日本社会に大きなショックを与えている。この事件で問題になっているのが構造計算書の偽造である。先日のニュースによると、この構造計算に用いられている国土交通省認定の構造解析プログラムの開発会社大手が、事件を受けて、このプログラムのデータ改ざんを難しくしたそうである。

近年、コンピュータの高性能化、低価格化に伴い、生活、仕事の様々な場面でコンピュータが活用されている。ほんの20~30年前には考えられなかった程、利用者は爆発的に増加している。そして、使い勝手を良くするために多くの人々の手が加えられ、ハードウェア、ソフトウェアともに大きく改良がなされてきている。まさに一部の専門家がコンピュータを利用する時代から、裾野が広がり、誰もが容易に使える時代となった。しかし、この裾野の広がりが本当に裾野の技術レベルの向上に繋がっているのであろうか。

冒頭の事件においても、この便利さの一方で、途中の過程がブラックボックス化し、利用者が結果の数値合わせに陥りやすい状況を作り、また、この建築審査においても、審査が形式化し、認定プログラムを使用しているか否か、インプットデータが適切かというチェックのみに重点が置かれるというような弊害も出ていたようである。

先日のあるシンポジウムで、物理の著名な先生が、謙虚さを持たない二流の理論屋が増えていることを嘆いておられた。一流の理論屋は、自分の理論の限界を知っているから謙虚である。しかし、二流の理論屋は、自分の理論がすべてに役立つと誤解している。このような理論屋(科学者、技術者)が闊歩しているとの指摘である。最近の論文データ改ざん、論文データ捏造などの問題も、科学者・技術者の謙虚さが失われた結果ではあるまいか。本来、科学を極めて行くと謙虚になれる筈なのに。

さて、コンピュータ化学の分野においても、類似のことが起こっているのではあるまいか。コンピュータの高速化に伴い、複雑な量子化学計算や分子シミュレーションの活用が容易になったことは喜ばしい限りである。しかし一方で、その限界を踏まえた上で有用性を基礎から分かりやすく教育することが十分なされているとは言えないと感じている。大学教育における専門横断的な教育の充実、そして、その後(社会に出てから)の継続的な教育の機会が不可欠である。そのような場を提供することが、学会や研究会の重要な役割であり、大いに期待したい。

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