特集「化学の数理的・コンピューター的側面―群,グラフ,および構造」に寄せて
京都工芸繊維大学 工芸学部物質工学科 藤田 眞作
(2004年9月15日 会告Vol.3, No.3)
化学の方法論の特徴は,「化合物の化学性・物理性を化学構造と結びつけようとする」ところにある. このとき, 化学構造から一定の構造記述子が抽出され, 特定の化学性・物理性に結び付けられる. 古くは, 化学構造に含まれる官能基が, 化学性に結び付けられ, その結果を基礎に有機化学の体系化が図られたことは周知の通りである.
官能基はより広い意味をもたせた部分構造として拡張され, 化学情報学において化合物検索や反応検索に使われている. また,構造活性相関におけるトポロジカルインデックスなどの種々のインデックス類, 量子化学計算による軌道関数なども構造記述子として使われる.
このように多様化した構造記述子の意味や相互の関係付けには, 数学的な考察が不可欠である. 化学構造式が一種のグラフとみなせることから, その考察にはグラフ理論や群論が主な道具となる. このとき, 多くのグラフを悉皆的に調べる必要が出てくるため, コンピューターの出番となる. かくして, 化学---数学---コンピューターの結びつきが生まれ, 効率のよいコンピューターアルゴリズムの開発が必須になる.
さらに, 構造記述子として三次元のものを考える場合には, グラフに幾何学的な情報を付け加えて, 立体化学的な取り扱いをおこなう必要がある. このような局面では, コンピューターグラフィックスによる視覚化が強力な道具となる.
本特集では, 化学と数学, 化学とコンピューターにかかわる状況をあきらかにすることを目的に, (1) コンピューターによる構造式の悉皆的列挙の数学的な取り扱い, (2) NMRのピーク帰属におけるグラフ理論的な取り扱い, (3) 分子グラフに基礎を置いた構造記述子に関する研究, (4) 化学グラフの群論的な取り扱い, および(5) 立体化学に関する群論的な取り扱いについての論文を収録した.
化学における数学の応用分野としては, 量子化学計算などの計算化学が大きい. この分野の用いる手法と, 本特集で取り上げた分野の手法とは多くの点で異なっており, 化学における数学応用の多様性を示している. 化学を実験的に研究するのと同じレベルで, あるいは化学を量子力学的に研究するのと同じレベルで, 化学を数学的に研究することも重要な分野であるというのが本特集を組んだ動機の一つである. これに関して, 本特集の動機とは多少逸脱するが, 数学の一分野に「数学基礎論」があるように化学にも「化学基礎論」というべき分野があってもよいようにおもう.
本特集から, 化学の方法論を, 化学の枠内の定性的なことばや, 従来の計算化学的な方法だけでなく, (1) 数学のことばで捉えなおすこと, (2) コンピューターアルゴリズムとして定式化することの意義を感じとっていただければ幸いである. 「化学基礎論」というような大げさなことをいわずとも, この特集を契機に, 化学の方法論の基礎について,議論が深まることを希望している.
最後に, 本特集に寄稿していただいた諸賢に, ゲストエディターとしてお礼申しあげる.