コンピュータ化学の未来
千葉工業大学経営情報科学科 田辺 和俊
(2002年12月15日 会告Vol.1, No.4)
コンピュータの進歩は計り知れない。回線電話が5千万台を達成するのに100年かかったが、携帯電話は10年で到達した。一昨年10月のシドニーオリンピックの公式ホームページは1日のアクセス数の世界新記録6億8千万件を記録し、開催期間中の総アクセス数は60億件以上であった。この情報技術を支えるコンピュータも猛烈な速度で進展している。コンピュータの速度の進展についてはインテルのゴードン・ムーア会長が発見した「マイクロプロセッサは18ケ月で2倍のトランジスタを集積する」という「ムーアの法則」がある。事実、世界最高クラスのコンピュータの演算速度は毎年約2倍近く伸びている(http://www.top500.org)。したがって、2010年にはペタ(1015)フロップスのコンピュータが登場し、1990年代のスパコンと同程度のパソコンがオフィスに現れる。さらに、2020年にはエクサ(1018)フロップスのコンピュータの登場が期待される。
このコンピュータの進歩に支えられて、21世紀における化学はどこまで進展するだろうか。この未来予測についての調査報告は課題として大規模計算(高分子などのメゾ系、溶液内反応など)をあげている。高機能の材料を設計するためには、原子・分子レベルのシミュレーション手法を用いて材料を構成するマクロな系について機能を予測することが必要になる。しかし現状のコンピュータの性能ではマクロな系のシミュレーションは不可能であるため、ミクロとマクロをブラックボックスに繋ぐ構造―活性相関や構造―物性相関の方法が新薬や新材料の開発に重用されている。またミクロとマクロを繋ぐマルチスケールモデリングが現在の研究課題の1つであり、土井プロジェクトで開発が進められているシームレスズーミングもこれに該当する。
しかしコンピュータの演算速度が現在の年率2倍のまま未来も向上し続くと仮定すると、2050年には250倍、すなわち1016倍の高速化が見込まれる。そうなると現在は108原子の分子動力学シミュレーションが可能なので、50年後には1024原子、つまり現実系のシミュレーションが可能になるかもしれない。そうなれば、無駄な実験が削減され、ナノテクノロジやグリーンサステナブルケミストリの研究が効率的に行われるようになるであろう。
しかし、その頃でも課題は残っていると思われる。1つは化学物質の薬理活用や毒性の予測に不可欠な生体内反応のシミュレーションである。情報技術と並んでバイオ技術も21世紀の重要課題であり、現在、ゲノム解析などに多大な資金が投入されているが、生体が解明つくされるのはいつになるかは予測できない。現在、日本では地球シミュレータの開発が進められているが、21世紀の課題は生体シミュレータである。事実、ポストゲノムの課題の1つとして米国では「システム生物学」「インシリコバイオロジー」「バーチャル細胞学」などのアプローチが提案され、計画の立案が始まっている。
もう1つの課題は材料設計や反応設計などの最適解探索における数学的爆発問題である。これらの設計では2千万種類を越える化学物質の組み合わせの中から最適解を探索しなければならないが、この種の数学的爆発問題は有名な「巡回セールスマン問題(TSP)」など種々あり、これらの問題の解決はコンピュータの進歩でも追いつかない。しかし、材料開発や有機合成の専門家は直感と経験によりこの難問を解決してきた。チェスの世界名人をうち破るコンピュータが登場する時代であるが、人間の頭脳を持つコンピュータの開発はまだ至難である。以前から人工知能の、最近では脳型コンピュータの研究が行われているが、化学エキスパートシステムの開発も21世紀の課題である。